番外チビキノコラム:熊楠と仏教展

きのこファンにたまらない、南方熊楠。深草の龍谷大で興味深い展示がありました。最終日近くの7月26日(土)に出向いた時の模様です。
龍谷大学深草キャンパス、至心館研究展示館「パドマ」: 至心とは、真実を顕し、パドマ(Padma)とは汚泥の中から咲く紅蓮華のことだそう!
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展示会場は撮影禁止の為、頂いたパンフレットの一部。
f0169942_21411441.jpgf0169942_21425897.jpgf0169942_21443227.jpg ・土宜法龍との出会い
・高野山での菌類の採集と法龍との再会
・龍谷大学長だった妻木直良との交流
f0169942_21465920.jpgf0169942_21455340.jpg・粘菌の生活誌を「曼荼羅」とよんだ熊楠の法龍への手紙
・「微少なものの中に全体が含まれる」 フラクタルのような図をもちいて法龍に説明する熊楠の絵手紙、ネコの絵がかわいい!
f0169942_22193723.jpgきのこを右手に、銚子を左手に持ち「くさびらは幾劫へたる宿対ぞ」の句、高野山の滞在で一条院から小畔四郎に送った葉書。(くさびらとはきのこの意味!)
f0169942_21474188.jpg・なんと「ルバイヤート」明治26年11月3日ロンドンにてとの書き込みがある、熊楠から法龍へ送られたという。
オマール・ハイヤームとルバイヤート:11世紀ペルシアの数学者・天文学者にして詩人の、死後に出されたという4行詩集、エドワード・フィッツジェラルドが匿名で1859年翻訳した、出版当初は評判にならず、忘却の彼方へ消え去ろうとしたが、ラファエル前派のロセッティが発見、称揚しその後、英米で大絶賛された。1880~90年代の英米での流行は目覚ましく、外国文学が注目され始めた同時期の日本でも明治29年から東大で講義を始めたラフカディオハーンがこれを取り上げた記録があるらしいが、それよりも早く熊楠は法龍に紹介しているということに!

「生と死の瞑想」: 詩にも手を染めてみたペルシアの天文学者と、東洋・スペインの書物に読みふける(おそらく完全には理解出来ないで)変わり者のイギリス人-この両者の偶然の合一から、そのいずれとも似つかない驚くべき詩人が出現する。 (J.L.ボルヘス)

第7歌
さあ、さかずきを満たせ。燃えたつ春の火に
くよくよ悔いる心の冬着を脱ぎすてよ。
「時の」小鳥は飛ぶ道のりが短いに、
ほら、ごらん、もう飛んでいる、飛んでいる。
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by gallery_kinoko | 2008-08-19 22:54
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